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千葉県館山市洲崎1697番-洲崎神社333

名称 洲崎神社
祭神 天比理乃咩命
創建 神武天皇年間
住所 千葉県館山市洲崎1697番
電話番号 0470-29-0713
ホームページ http://www.sunosaki.info/
由緒 洲崎御手洗山中腹に鎮座する式内大社「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社」の論社の1つで、 論社には他に洲宮神社があります。また、安房国の一宮として安房神社が知られていますが、当社もまた一宮を称しました。 大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて 阿波国へ上陸し開拓したとされております。 その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされております。 宝暦3年(1753年)に成立した当社の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、 神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが当社の始まりであるといわれております。 また、『安房忌部家系之図』や『斎部宿禰本系帳』には、天富命15代目の子孫である佐賀斯の第2子・色弗が 初めて祖神天太玉命の后神を祀ったとの記述があります。 『安房忌部家系之図』や『斎部宿禰本系帳』では色弗の兄の第4子・加奈万呂が安房神社第22代祠官として勝義と改名し、 勝浦崎(洲崎)に仮宮を作って天比理刀咩命を祀ったとしています。 このことから、色弗が初めて祀った斎場は大和国で、加奈万呂が勝浦崎(洲崎)に仮宮を作った養老4年(720年)7月が当社の創始とする説も存在します。 当社の社伝によれば、養老元年(717年)大地変のため境内の鐘ヶ池が埋まり、 地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので役小角が7日7夜の祈祷を行い、 明神のご神託により大蛇を退治して災厄を除いたのだといわれております。 また、役小角が海上安全のため浜鳥居前の海岸と横須賀に神石を1つずつ置いたなど、 当社には修験道の開祖である役小角にまつわる伝承が多く存在します。 これより、当社が古くから神仏習合思想や修験道の影響を強く受けていたことを物語っているとされています。 「安房国 天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、神階の陞叙を受けております。 延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、 天比理乃咩命神社は大社に列格されました。当社は、この天比理乃咩命神社の論社の1つで、 もう1つの論社である洲宮神社と、どちらが式内社であるか江戸時代から争うようになります。 永保元年(1081年)神階が最高位の正一位に達しました。 また、後の弘安4年(1281年)には元寇の役の功により勲二等に叙せられております。 治承4年(1180年)8月、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ海路で安房国へ逃れました。 『吾妻鏡』治承4年(1180年)9月5日の条によれば、安房に逃れた源頼朝は上総介及び千葉介へ参上を要請する使者を送り、 当社へ参拝して使者が交渉を成功させて無事帰還した場合には神田を寄進するとの御願書を奉じております。 この使者は無事に役目を果たし、同年9月12日の条では当社に神田が寄進されました。 また、寿永元年(1182年)8月11日の条では、頼朝の妻政子の安産祈願のため、 安房国の豪族である安西三郎景益が奉幣使として当社へ派遣されたことが記されております。 以降も関東武家の崇敬を受けることとなりました。 また、『吾妻鏡』治承5年(養和元年、1181年)2月10日の条では、安房国洲崎神領で在庁官人らが煩いをなすことを停止させる下知書が洲宮神官宛に下されております。これが当社と洲宮神社の関連を記した文書の初見となっているとされます。 文化9年(1812年)、房総沿岸を視察した筆頭老中松平定信が「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納いたしました。 江戸時代に一宮とされた根拠はこの扁額であるが、「安房一宮 洲崎大明神」となっており、断定はできません。 これをもって一宮としたのは、昭和13年(1938年)に来房した栃木県の郷土史研究家であり、 どの書物にも正式に一宮と記載された歴史はありません。 『館山市史』では、当社を一宮としたのは西岬に一宮道があったことによる誤りではないかと述べております。 江戸時代までは別当養老寺が当社を支配し、これが明治元年(1868年)に神仏分離令が出されるまで続きました。 明治5年(1872年)神祇を管轄する教部省は洲宮神社を式内社と定めましたが、 翌6年(1873年)にこの決定を覆して当社を式内社としました。ただし、決定の論拠はあまり明白で無いとされています。 また、同6年(1873年)近代社格制度により当社は県社へ列格されました。 当社は海上交通の関所と言うべき位置にあり、昭和15年-16年(1940年-1941年)頃まで沖を通る船に奉賽を納めさせる風習が存在しました。 昭和47年(1972年)御手洗山が「洲崎神社自然林」として千葉県指定の天然記念物となっております。 現在は兼務社となり、神職は常駐しておりません。
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