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京都府京都市伏見区深草藪之内町68-伏見稲荷大社333

名称 伏見稲荷大社
祭神 宇迦御魂大神
創建 和銅年間(708年-715年)
住所 京都府京都市伏見区深草藪之内町68
電話番号 075-641-7331
ホームページ http://inari.jp/
由緒 全国に30,000社あるといわれ、最も分社の多い稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社。 茨城県笠間市の笠間稲荷神社、佐賀県鹿島市の祐徳稲荷神社と共に日本三大稲荷のひとつに数えられ、初詣では例年三が日で250万人以上の人が参拝に訪れます。 伏見稲荷大社のある稲荷山は、東山三十六峰の最南端に位置しており、山全体が神が宿るとされている神奈備で、信仰の対象となっています。古くから三ケ峰と呼ばれ、三つの峰が西から東へ連なっています。境内は本殿のある西麓一帯を含め約26万坪(約87万平方メートル)と広大です。 稲荷山の杉は全て、お稲荷様の依る木とされ、ご神木(しるしの杉)となっています。 熊野参詣が盛んになった平安中期以降、行き帰りに稲荷大社に参詣し、ご神木である杉の小枝をいただき身に着けてお守りとすることが一般化していました。 稲荷山を拝巡する「お山めぐり」は一周約4km、所要時間の目安はおよそ2時間弱で、平安時代から行われており、福参りと言われ、2月初午の日は特に沢山の参拝客で賑わいます。随筆・枕草子にも清少納言のお山めぐりの様子が描かれています。 参道では約1万基の稲荷塗の鳥居や、ご神徳に因んだ神名などを石に刻んだ無数のお塚を見ることができます。鳥居を奉納する習慣は江戸時代以降に広がったもので、願い事が通ったお礼に奉納されたといわれています。 五穀を司る宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神に、導きの神である佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、技芸や芸能の神とされている大宮能売大神(おおみやめのおおかみ)、豊穣の神とされる田中大神(たなかのおおかみ)、宇気母智神、和久産霊神、豊受大神、托枳尼真天の四柱の女神の四大神(しのおおかみ)を配神とし、商売繁盛や五穀豊穣、産業興隆、交通安全、安産、万病平癒、学業成就、芸能上達など幅広い御利益があると言われています。 御鎮座は和銅4年(711年)2月初午の日、と伝承されていますが諸説あり、信仰の起源はそれより更に古いようです。平成23年(2011年)に御鎮座1300年を迎え、様々な記念事業が進められ、社務所の増改築や新築、日本庭園などが作られました。 秦氏との縁の深い神社で、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)達の先祖である伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)は、稲を多く持つ裕福な豪族の棟梁でしたが、ある日餅をついて的を作り矢を射ると、その餅が白い鳥に姿を変え、彼方の山の峰に飛び去ります。白い鳥が舞い降りた峰には稲が豊かに実りました。伊侶巨秦公はこの不思議な出来事を神様の力によるものと考え、社を建てます。 これが伏見稲荷大社の始まりと言われています。 稲が生る、イネナリ(稲成)で社名を「稲荷」としたといわれていますが、こちらの名前に関しても諸説あるようです。 神祗官勘文や年中行事秘抄などから引用される稲荷社禰宜祝等甲状には、和銅年中に伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐して以来、秦氏人等が禰宜・祝として、春と秋のお祭りに仕えたとあります。 また社記(十五箇條口授伝之和解)には元明天皇の頃の和銅4年2月壬午の日に、深草の長者である伊侶巨秦公が勅命を受け、三柱の神を伊奈利山の三ヶ峰にそれぞれ祀ると、その年は豊作になり、多くの人々が福を授かることが出来たと伝えられています。 伊侶巨秦公から数えて九代目に当たる秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)の代まで、代々稲荷社祠官の禰宜(ねぎ/神職の職称)は1名でしたが、嘉祥3年3月に中家の弟・森主が祝(ほうり)となり、禰宜・祝の2員制に移行します。 天長4年(827年)淳和天皇の健康が優れないので占いをしたところ、先朝の御願寺である東寺の塔の建立の為に稲荷社の木を伐った祟りであることが分かり、神様の怒りを鎮める為、内舎人(うどねり)の大中臣雄良を遣わし、従五位下の神階を授けるとともに、天皇の健康の回復を祈りました。 天慶5年(942年)には正一位の神階を授かります。 室町時代の応仁元年(1467年)に起こった応仁・文明の乱の翌年には、稲荷山に陣を置いた細川氏側の軍勢は、東福寺に陣を置いた山名氏側の軍勢による攻撃を受けて敗退し、社殿なども壊滅的な被害を受けます。 応仁の乱で焼失した社殿再建の為の浄財を募る本願所は愛染寺と称し元禄時代より幕末まで続きますが、明治元年(1868年)の神仏分離、廃仏毀釈によって廃絶します。 明応8年(1499年)に五間社流造の本殿が再興され、現在は権殿や外拝殿、楼門などと共に重要文化財になっています。明治4年(1871年)には近代社格制度により官幣大社になり、昭和21年(1946年)に近代社格制度の廃止により宗教法人になります。 社家には学者が多く、国学者、歌人である荷田 春満(かだ の あずままろ)も伏見稲荷大社の社家出身で、楼門の南側にある平家建書院造りの旧宅は国の史跡として保存されています。その一角に荷田 春満(かだ の あずままろ)を祭神とする東丸神社(あずままろじんじゃ)があり、学問の神様として信仰されています。
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