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群馬県富岡市一ノ宮1535番-貫前神社333

名称 貫前神社
祭神 経津主神 姫大神 - 比売神
創建 安閑天皇元年
住所 群馬県富岡市一ノ宮1535番
電話番号 0274-62-2009
ホームページ http://nukisaki.or.jp/
由緒 社伝によると、創建は安閑天皇元年(531年?)3月15日、鷺宮(現 安中市の咲前神社に比定)に 物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりといわれております。 その後、天武天皇2年(私年号では白鳳2年、673年)に最初の奉幣が行われました。 一方『神道集』では、安閑天皇2年(532年?)3月中頃に抜鉾大明神が笹岡山に鉾を逆さに立てて御座、 白鳳6年(677年)3月に菖蒲谷に社壇が建立されたと記載されております。 現在の社名「一之宮貫前神社」は、旧社格廃止に伴い改称したものであり、 六国史をはじめとする古書には、「抜鉾神社」(ぬきほこじんじゃ)と「貫前神社」(ぬきさきじんじゃ)の2つの名で記されております。 この2社が現神社の前身であるとすると、最初に記録に登場するのは大同元年(806年)、 『新鈔格勅符抄』の神封部にある「上野抜鉾神 二戸」の記述であります。 延長5年(927年)には『延喜式神名帳』に貫前神社が名神大に列格されております。 宇多天皇の代、仁和4年(888年)に一代一度の奉幣として大神宝使を遣わすこととしたが、 当社へは寛仁元年(1017年)後一条天皇即位の際に遣わされています。 長元3年-4年(1030年-1031年)に成立したとされる『上野国交替実録帳』には 「正一位勲十二等抜鉾大明神社」とあり、当時既に神階が正一位に達していたと思われています。 『本朝続文粋』の記述によれば、康和2年(1100年)4月に上野国目代平周真が降雨の祈願を行った時の奉献の文を 国司上野介藤原敦基が執筆しており、当社が国司による特別の崇敬を受け、一宮的機能が12世紀初頭には確立したと考えられています。 中世において、当社は源頼義・義家父子を始めとする武家の崇敬を集め、 室町時代末期に越後上杉・相模後北条・甲斐武田の各氏に支配された際も庇護を受け、 特に武田氏は譜代家老の原昌胤が取次を務め、造替費用を棟別に課して、上野国を越えた策を講じたとされます。 江戸時代には徳川家の庇護を受け、現在の社殿が整えられました。江戸当時は「抜鉾神社」が一般名称でありました。 明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に指定され、延喜式での表記に倣い「貫前神社」と改称いたしました。 戦後は神社本庁が包括する別表神社となっております。
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