由緒 |
創建は不詳ですが、機織などに携わった氏族の倭文氏が祖神の建葉槌命をお祀りしたのが起源とされています。
ですが社伝には下照姫命に関するものが多く残っており、大正時代までは下照姫命が主祭神だと考えられておりました。
社伝によれば、出雲から渡った下照姫命が現在の湯梨浜町宇野に着船し、御冠山に登って現在地に鎮まったといわれております。
下照姫命が化粧を直したといわれている「化粧水」や、腰を掛けたという「お腰掛岩」などが残っております。
『式内社調査報告』では、元々織物の神である建葉槌命をお祀りしていたものが、織物が作られなくなったことにより建葉槌命が忘れられてしまい、共に祀られていた下照姫命だけが残ったのではないかと記されております。
境内にある塚が下照姫命の墓だと考えられおりましたが、大正4年に発掘調査が行われ経塚であることがわかりました。
発掘調査で出土した品の銘文から、当社が平安時代後期には伯耆国一宮であったことがわかりました。
同時に出土した観音菩薩立像などは国宝に指定されております。
戦国時代には社領を没収され荒廃しましたが、天文23年に社殿が再建されました。
昭和14年、国幣小社に列格し、第二次世界大戦後は別表神社となりました。
かつて主祭神であった下照姫命が女神であることから、安産に霊験があるとされております。
本殿の後ろにはかつて「乳神」と呼ばれる神木があったが、現在は倒壊してしまっております。
参道沿いには「安産岩」と呼ばれる岩があり、昔、毎回難産に苦しんでいた女性が願かけをし、満願の日の夢の中に下照姫命が姿を現しました。そして参詣の帰途にこの岩の場所で簡単に出産したため安産岩と呼ばれるようになったと伝えられております。
安産岩を削って飲むと霊験があると伝えられております。 |
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