京都府京都市上京区御前通今小路上る馬喰町-北野天満宮
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京都府京都市上京区御前通今小路上る馬喰町-北野天満宮333
名称 | 北野天満宮 |
祭神 | 菅原道真 |
創建 | 天暦元年(947年) |
住所 | 京都府京都市上京区御前通今小路上る馬喰町 |
電話番号 | 075-461-0005 |
ホームページ | http://kitanotenmangu.or.jp/ |
由緒 | 北野天満宮は学問の神として知られる菅原道真公を御祭神として祀る天満宮のひとつで旧称は北野神社といい、北野の天神さん、北野さんと呼ばれ親しまれています。北野は京の都の北西にあり、天の力の満ちる神聖な土地とされていましたが御祭神の道真公の御遷座により その霊験は益々増し、全国各地に勧請が行われ、その数は12,000社あるといわれています。 至誠、厄除け、学問の神様としても篤く信仰されている道真公は同時に文化の神様でもあり、和歌・連歌・歌舞伎・書画や文芸・芸能・芸術とも深い関わりがあり、江戸時代には寺子屋の普及と共に子供の守り神としても慕われるようになります。古くから雷は天神として崇められてきたことから農耕、豊穣の神様でもあります。福岡県太宰府市にある太宰府天満宮と共に天神信仰の中心として広く知られています。 道真公が梅をこよなく愛したことから神紋には星梅鉢紋が使われ、境内には50種類 約1,500本の梅があり、神域で育った梅には御神徳が宿るといわれお正月の縁起物となっており、大変人気があります。授与品の厄除け瓢箪をつけた招福の梅の枝「思いのまま」や「大福梅」は神職さんや巫女さんの手により採集や土用干しが丁寧に行われます。 太宰府天満宮、防府天満宮と共に日本三天神とも呼ばれ、道真公の足跡を辿る京都?九州の25社の天満宮を拝巡する菅公聖蹟二十五拝の第25番でもあり、洛陽天満宮二十五社順拝の第9番でもあります。 創建は平安時代中頃の天暦元年(947年)、道真公により託宣を受けた多治比文子によって祀られたことにはじまり、数年後に近江国(滋賀県)比良宮の神官 神 良種(みわのよしたね)の子である太郎丸にも宣託があり、その宣託に基づいて神 良種や北野朝日寺の僧最珍らによって神殿が建てられ、後に藤原氏により更に壮大な社殿の造営が行われました。 永延元年(987年)に一條天皇の勅使が派遣され、北野天満天神の神号が認められます。長い歴史の中で何度も火災にあいますが、朝廷や将軍家により造営や修復が行われ、現在の社殿は豊臣秀頼公により慶長12年(1607年)に造営された日本最古の八棟造(権現造)として国宝に指定されており、本殿には御祭神 道真公、御相殿の中将殿(菅公の御子息)、吉祥女(菅公の北の方)がお祀りされています。 御祭神である道真公は幼少より文武に優れ聡明で、学者として、文人として、また政治家として活躍し宇多天皇に重用され右大臣になりますが、昌泰4年(901年)に左大臣 藤原時平らの政略により大宰府へ大宰員外帥として左遷されてしまいます。 京の都を去る際に自宅の梅の木に「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」 (春風が吹いたら、その風に香りを託し大宰府まで届けておくれ 梅の花よ、主人の私が居なくとも、春を忘れないように) と和歌を詠むと、梅が道真公を慕い、一夜のうちに京の都から大宰府まで飛んできたという飛梅伝説は有名です。 大宰府での厳しい生活の中で国の安寧と自身の潔白を祈りますが、無実の罪が晴れることなく、延喜3年(903年)2月25日に配所の榎寺(大宰府政庁の南館)で59歳で亡くなります。 「私の亡骸は牛車に乗せ、その牛の行くのに任せ、止まった所に弔うように」と遺言を残しており、その遺言通りに、牛が伏して動かなくなった場所に埋葬されました。承和12年6月25日の丑年の生まれであることや、延喜3年2月25日の丑の月の丑の日に亡くなっていること、本殿創建も牛による縁であることなどから、牛に縁が深く、境内には銅や石の御神牛が数多く奉納されています。 広い境内には重要文化財の三光門、東門、国宝の北野天神縁起絵巻をはじめ宝物を収蔵・公開している宝物殿、神楽殿、梅苑、もみじ苑に史跡御土居、茶室の梅交軒、松向軒、明月舎に加え、北野天満宮の創建以前よりある地主神社、雷除けの火之御子社、文子天満宮、白太夫社など50社にのぼる摂社、末社が建ち並び、見所が数多くあります。 |
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