由緒 |
当社の創建は社伝によると景行天皇40年とされています。
景行天皇40年の11月、天皇の皇子日本武尊が東征の際に走水の海で暴風雨に遭いましたが、妃の弟橘姫の犠牲によって上総に無事上陸することができました。
その後、日本武尊は当社の鎮座地・宮山台で弟橘姫を偲び、支那斗弁命を祀ったのが始まりと伝えられています。
当社の主祭神である支那斗弁命は風の神で、島穴神社祭神の志那都比古尊の妻、もしくは姉とされています。
支那斗弁命は出かけたきりいつ帰ってくるのかわからない志那都比古尊に思いを馳せ、待ちわび、「待つのは辛い」と嘆いたことから、当地では「待つ」=「松」とされ、「松」が忌まれるようになった伝承が残されています。
そのことから氏子区域内では正月に松や門松を飾らないという風習があり、松の代わりに門榊が飾られます。
延喜式神名帳には上総国海上郡・姉埼神社と記載されており、小社に列しています。
また、古くは島穴神社と深い関係があり、両社を神輿が行き来していました。
1986年(昭和61年)、火災によって本殿と神木が焼失しましたが、その後本殿は再建され、神木は焼け残った芽から育て直され、今に至ります。 |
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