由緒 |
創建年代は定かではありませんが、天智天皇 (661 ~ 671) の頃、現在地の辺りに藤原氏が春日大神を産土神として祀ったのが始まりといわれています。
「摂津志」には「三社神祠」とあり、馬場・般若寺・別所・上辻の鎮守でした。
当社は別名を「不焼宮(やけずのみや)」といわれています。
建武・延元 (1334 ~ 1339) の頃、浄土宗本山来迎寺の開祖誠阿上人が師法明上人の命をうけて、男山八幡宮の宝物を授かりました。寺院を建立するために北河内佐太に誠阿上人が帰る途中、これをねたむ法明上人の弟子達に追われて当宮に身を隠したが、見つけ出されて火を放たれます。
ところが、火はたちまちにして消え、追ってきた弟子達は誠阿上人の徳に接し、ついには上人に帰依したという話があります。このことから以来、「不焼宮(やけずのみや)」と称されるようになったということです。
その後、誠阿上人は、佐太に来迎寺を建立し、当時の保護にむくいる為、男山八幡宮の御分霊を当宮に奉祀したのが、八幡大神を御祭神とした由来です。
こうした縁から現在も来迎寺の住職の交代毎に当社に来拝するのが続いていると言うことです。
その後、疫病の流行で多数の村民が死亡した際、誠阿上人に悪病退散の祈祷を乞いその霊験により村民の病が平癒したことから、従来の主神を相殿として八幡大神を主神としました。 |
【大阪府大阪市旭区清水3丁目20-19-八幡大神宮】の1件の口コミ