由緒 |
棚倉町には「都都古別神社」という神社が馬場と八槻大宮に2社あり、どちらも同じような由緒、祭神、名神大社、
陸奥国一宮を称してはいますが、別の神社であります。
なぜ「都都古別神社」がなぜ同町内に2社あるのか、その理由は定かではありません。
現地では両社を区別するため鎮座地名をとって馬場都都古別神社・八槻都都古別神社のように呼んでおります。
同じ久慈川沿いにある近津神社と合わせて近津三社と言われております。
延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載されており、江戸時代まではこのように称していましたが、
明治時代の太政官符に「都都古別神社」と記載されていたことから以降「わけ」には「別」の字を当てましたが
第二次大戦後、馬場都都古別神社は正式の表記を旧来の「和氣」に戻しております。
なお、福島県石川郡石川町にも同じ祭神を祀る石都々古和気神社があり、同じく陸奥国一宮とされているが、
都都古別神社との関係は明らかになっておりません。
社伝によると、味?高彦根命が父である大国主命を助けて奥羽の地を開拓し、当地に祀られたのが始まりだとされております。
日本武尊がこの地に東征したとき、千度戦って千度勝ったとされ、その後陸奥国に来た八幡太郎義家が、
この故事を称えて当神社を「千勝大明神」と名づけたといわれております。 |
【福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224-八槻都都古別神社】の1件の口コミ