由緒 |
棚倉町には「都都古別神社」という神社が馬場と八槻大宮に2社あり、どちらも同じような由緒、祭神、名神大社、
陸奥国一宮を称してはいますが、別の神社であります。
なぜ「都都古別神社」がなぜ同町内に2社あるのか、その理由は定かではありません。
現地では両社を区別するため鎮座地名をとって馬場都都古別神社・八槻都都古別神社のように呼んでおります。
同じ久慈川沿いにある近津神社と合わせて近津三社と言われております。
延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載されており、江戸時代まではこのように称していましたが、
明治時代の太政官符に「都都古別神社」と記載されていたことから以降「わけ」には「別」の字を当てましたが
第二次大戦後、馬場都都古別神社は正式の表記を旧来の「和氣」に戻しております。
なお、福島県石川郡石川町にも同じ祭神を祀る石都々古和気神社があり、同じく陸奥国一宮とされているが、
都都古別神社との関係は明らかになっておりません。
社伝によると、景行天皇の頃、日本武尊が奥羽鎮撫の際に都都古和気神を地主神として都々古山に
鉾を立てたのが始まりとされております。
その後、大同2年(807年)に現在の棚倉城址に社殿を造営され、日本武尊を相殿に配祀いたしました。
寛永2年(1625年)、さらに棚倉城建築のため現在地に遷座されております。 |
【福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39-馬場都都古和氣神社】の1件の口コミ