全国の神社とパワースポット
亀山八幡宮
■概要
山口県で勝負運としての御利益が人気のパワースポット「亀岡八幡宮」です。創建は、859年と歴史が古く、大分県の宇佐神宮から、京都の石清水八幡宮へ勧請(かんじょう)される際、立ち寄られ、その時のお告げによってたてられました。
御祭神は、応神(おうじん)天皇・その父である仲哀(ちゅうあい)天皇、その母である神功(じんぐう)皇宮、そしてその子である仁徳(にんとく)天皇です。
第14代天皇である仲哀天皇はヤマトタケルの子です。その没後、仲哀天皇が成し遂げることができなかった戦をご懐妊中にもかかわらず達成したことで、強い女性像の象徴とされるのが神功皇后になります。そして、その出兵中、お腹の中にいた子こそが、15代天皇、応神天皇です。
応神天皇には2人の息子がおり、次の天皇には弟が即位されることになっていたのですが、その弟が王位につかず兄に譲ったため次の16代には仁徳(にんとく)天皇が誕生します。
仁徳天皇といえば、大阪府堺市にある、世界最大の前方後円墳として、誰もが社会の教科書で一度は目にしたことのある古墳に祀られている天皇としても有名です。
この由緒正しき亀山八幡宮は、市内60町の氏神様として、今も昔も、市民の憩いの場としても親しまれています。そんな境内には、珍しいスポットがもり沢山です。
例えば、こちらの境内には、伊藤博文(初代総理大臣)が奥さんとなる人物木田梅子と出会ったという場所があります。
時は幕末。長府藩に追われていた伊藤博文が、境内にあったお茶屋に逃げ込んだ際、そのお茶屋で働いていた梅子に助けられました。当時、他に妻がいた伊藤博文でしたが、梅子に一目ぼれしました。
父の借金の肩代わりに置屋に身売りされてしまった梅子を見受けするために前妻とわかれ見事結ばれたという二人です。女好きとして有名であった伊藤博文を支え、みごと日本初のファーストレディになったのが梅子です。そんな二人がであったお茶屋跡が境内にあります。
また、馬関(ばかん)戦争の発端である、外国船に向けて砲撃した砲台が、境内に残されています。山口県は、開国を目指した幕府に反して、天皇をうやまう尊王攘夷派の長州藩がおさめるエリアでした。
その年の1月、高杉晋作(たかすぎしんさく)らと共に品川区に建設中であったイギリス公使館を焼き討ちした久坂玄瑞(くさかげんすい)は、同年6月にこの境内につくられた砲台より、下関に停泊していたアメリカ商船に攻撃したのです。
このことをきっかけに、イギリス・アメリカ・フランス・オランダと戦いがはじまり、結果長州藩は敗北するのですが、この戦争をきっかけに最新鋭の武器を輸入したり、その軍備をもとに薩長同盟が結ばれたりと明治維新へと加速していきました。
このような歴史的な観光スポットとしても見応え抜群の境内には、パワースポットが点在しています。
■落ちない!勝負運アップのパワースポット
亀山八幡宮の鳥居は、昭和8年に造られました。御影石の鳥居で、一切の継ぎ目もない、巨大な白御影石が使用されています。その見事な鳥居をよく見ると、「山」という漢字の部分のボールがすっぽりはさまっているのが見えます。
これは昭和33年から、この姿が保たれているのです。このボールは、近所のガソリンスタンドの方が野球をしていて打った球が鳥居の文字に挟まってしまいました。
しかし、それから、雨が降ろうと、風が吹こうと、何年たってもその姿が変わることなく、落ちないことがら、「落ちない」パワースポットとして人気を集めています。
入試試験、資格試験、就職試験と大事な勝負をかけるときにこちらでお参りするといいと言われています。また、高校球児がお参りした際、優勝したという逸話が残されているので野球少年らにも人気のパワースポットです。
■美容師さん・理容師さんのパワースポット
下関は、「ふぐ」が有名です。これは明治時代に、初代総理大臣が下関でふぐを食べ称賛したことがきっかけとなり、下関だけ食用として解禁された土地であったためです。
また、下関は、「ふぐ」だけでなく、実は「床屋」さんの発祥の地でもあります。鎌倉時代、天皇に仕えていた藤原基晴が職を辞して、三男をつれて下関で髪結所を開いたのが始まりです。
髪結所内には、立派な床の間があったことから、お客たちから「床の間のあるお店」として親しまれて、「床屋」という呼び方が誕生し、全国に広がっていきました。境内には、その記念碑が建っており、全国の理容関係者のパワースポットとして人気です。
この他にも、子宝に恵まれると言われる「子持狛犬」や延命長寿のパワースポット「神亀」など見どころ満載です。下関の人気観光スポット唐戸市場やカモンワーフも目の前ですので、たちよってみてください。
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