全国の神社とパワースポット
八幡朝見神社
八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196年)十月九日に豊前・豊後の守護となった大友能直公により鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し創建されました。
創建の際は鶴岡八幡宮の神職、福田土佐守源高政が神主でしたが、その後は子孫が奉職しています。
鶴見山の噴火により社地が崩壊したため、正平三年(1348年)に現在地に移動しています。
『豊後国風土記』や『万葉集』、『伊予国風土記』によると、朝見という名前は熱海からきているとされています。
戦後、温泉神社を合祀し、別府温泉の総鎮守とされました。
大正十一年(1922年)には御社殿の大改築が行われ、昭和二年(1927年)に斎殿と能楽殿が新築されました。
さらに平成八年には御創建八百年を記念し、八幡臺、三の宮、朝見文庫が新設され、地元の人たちだけではなく全国から観光客が訪れる人気スポットとなりました。
温泉神社は以前は旧別府公園にありましたが、大正八年(1919年)に、別府市朝見にあった長谷神社(大歳神)と愛宕神社(迦具土命)を合祀して創建され、大穴牟遅命、少彦名命が合祀されました。
別府八湯の一つの別府温泉の鎮守神でありましたが、合祀後は温泉神社の祭祀は八幡朝見神社で継続されています。
現在の別府温泉祭りは、この温泉神社で行われていた豊年祭りが由来とされています。
戦後神道指令により八幡朝見神社に合祀されてからは、開会奉告祭と温泉神社神輿の御神幸祭は八幡朝見神社で行われています。
ひときは大きな御神木のオオクスノキは、樹齢1000年以上と言われ県天然記念物に指定されています。
オオクスノキの前には手水舎があり、萬太郎清水と呼ばれ常に湧き出ています。
孝行息子萬太郎が不治の病の父親のために汲んできた朝見の清水を飲むと、たちまち全快したという伝説から名付けられました。
画聖・田能村竹田は「朝見の祠に詣づ、祠の西数町に井水有り、石間に出づ。茶に宜しと相伝え、里中第一と為す。山を下り長松寺に至り、瓶を洗ひ、石井の水を試む。果して佳し。・・・」と書き残しています。
干ばつにも涸れることなく、長雨にも濁らず、常に湧きつづけると言われています。
古来より煎茶の水としても利用され、現在も飲料水として利用されています。
境内には茶房萬太郎があり、萬太郎清水で淹れたコーヒーを飲むことができます。
朝見八幡臺は御創建八百年記念事業の一つとして造られました。
清水の舞台のような大舞台で、拝殿前の参詣広場につながっています。
大きさは脚高5.8m、広さ300平方mで鮮やかな丹塗りの欄干をしています。
表参道の階段を登って境内に入るとすぐ、門のように二本のスギの巨木が仲良く寄り添って立っています。
その様子から夫婦杉と呼ばれ、スギの下を二人で通り抜けると結ばれると言われ、別府のデートコースのひとつとして人気を集めています。
また、楼門の代わりをしているところから、別名「門杉」とも言われています。
表参道の御幸橋を渡り2つ目の鳥居をくぐると、敷石の山道が広がり盃石と瓢箪石が埋められています。
初詣の際にこれを踏むと大変縁起がいいと言われています。
駐車場から境内に入る場合は参道の敷石は通らないので、参道側に行ってみる必要があります。
腰健康守は近年、お年寄りに人気のお守りです。
夏越献灯祭は平成十二年度より23年ぶりに復活しました。
『氏名・屋号の名入灯籠』をかかげ無病息災、家内安全、商売繁昌等をお祈りします。
開会奉告祭が毎年4月に開かれます。
八幡朝見神社の「御神火採火式」と「開会奉告祭」から始まります。
浜脇・観海寺・亀川など別府八湯から集められた温泉が1つに混ぜ合され本殿に奉納され、続いて拝殿で神事が行われ朝見神社の神職により祝詞があげられた後、関係者が玉ぐしを捧げます。
別府民踊会や吉扇会が踊りの輪を作り堀田音頭や別府音頭などを披露したり、紅白餅やお菓子などを撒きます。
湯けむりお接待も行われ、ぜんざいと地獄蒸し玉子が振る舞われます。
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