由緒 |
1200年前もの遠い昔から当地の氏神様で、旧茨田郡一の宮の称えがある延喜式内の古社です。
1633年、淀の城主永井信濃守尚政の支配により、菅公を合祀し大宮八幡宮と称し、あつく崇敬されたということです。
氏地は現在の守口市と寝屋川市の両市にあって、元々境内地は今より広く、壮厳な鎮守の森で、絵馬殿、宝物庫、地車庫、観音堂等あり、本殿、幣殿、拝殿総桧皮葺にして壮麗を極めましたということです。
1615年5月、大阪夏の陣の兵火のため惜しくも焼失するも、1836、壮大な規模で社殿を復興しました。
現在の社殿は、1882年に造営され、同年10月盛大な遷宮がおこなわれました。
その後、総瓦屋根であった社殿を、昭和59年10月総銅板葺に葺替え現在に至ります。
境内に皇太神宮、白龍稲荷社、若宮天満宮、厳島神社、山王神社を摂社として祀ります。
もともと神宮寺として金竜寺、豊蔵寺、大竜寺があったということです。(現在は隣接地にある金竜寺のみ残存)
御祭神である津嶋女神は、古来より方除の神様として庶民の崇敬が厚く、また女性の神様であらせられ、安産、育児の守り神として、素盞鳴尊は、諸々の罪穢れを祓い清め、生々発展向上のことを守り給う神として、また菅公は、学問の神様として、信仰されています。 |
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