全国の神社とパワースポット
宮崎神宮
■概要
「宮崎縣護國神社」や史跡「船塚古墳」に隣接する「宮崎神宮」は、日本の最初の天皇である神武天皇にゆかりのパワースポットです。
古くより「神武天皇宮」「神武天皇御廟」とも称されましたが、1873年(明治6年)に「宮崎神社」と改称され、1913年(大正2年)に現在の名称となりました。地元では「神武さま」の愛称で親しまれています。
社伝によれば、この地は天照大御神から5代目にあたる初代・神武天皇が東征より以前に営まれた日向の都であり、宮崎神宮の創祀は神武天皇の孫で阿蘇神社の御祭神でもある「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」が、祖父の遺徳を称えて鎮祭したのが始まりとされています。
さらに第10代・崇神(すじん)天皇、第12代・景行(けいこう)天皇の熊襲討伐(くまそとうばつ)の際に社殿が造営され、第15代応神(おうじん)天皇の時代に改修されたことが記録が残っています。
以来、歴代領主によって篤く崇敬された宮崎神宮は、また天皇家にも縁が深いことから明治以降の天皇や皇族方が足繁く参拝され、境内のあちこちにお手植えによる草木が数多く茂っています。明治45年2月に明治天皇より下賜された「御太刀(おんたち)」が社宝となっています。
■御祭神
御祭神は「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)」で、初代・神武天皇を表します。その左には神武天皇の父「鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」が鎮座し、右にはその妻の「玉依姫命(たまよりびめのみこと)」も相殿されています。
神武天皇の父は、山幸彦として日本神話にも登場する「彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)」の子です。神武天皇は幼名を狭野命(さのみこと)と称し、生誕地である同県の西諸県郡高原町狭野には、かつて宮崎神宮の別宮であった「佐野神社」が鎮座しています。
生まれつき聡明で、今も「神武以来(このかた)」と言われるほど武芸にも秀でていたとされる神武天皇は、45歳で都を中央に移すべく生誕の地を発ち、大和国を目指しました。古事記の伝えるところによれば、神武天皇は137歳の長寿を全うしたことから、長寿の神さまとしても深く信仰を集めています。
■社殿
御本殿は方三間切妻造(ほうさんげん きりづまづくり)の妻入りで、屋根は銅板葺です。前面には同じく切妻の渡り廊下(渡殿)が「幣殿」へと続き、向拝や御料屋、透間垣、拝所などが軒を連ねます。
本殿以外の社殿は1907年(明治40年)に改修されたもので、大棟には神明造の面影を見せる千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が施されるなど、簡素ながらも端正な佇まいが特徴です。
本殿を含む11棟の社殿は、明治から昭和初期にかけて活躍した建築家・伊東忠太による設計で、2010年(平成22年)には国の登録有形文化財にも指定されています。また現在の境内は、紀元2600年を記念して行われた1940年(昭和15年)の拡大整備事業を経て完成したものです。
■宮崎神宮のイベント
平成20年10月より、月ごとに趣きの異なる「参拝餅」も授与されるようになりました。販売は毎月1日の「宮崎神宮朔日参り」午前6時からで、元日には午前0時から授与されます。
初穂料は300円で、一箱に2つのお餅が入っています。バリエーションは1月の「日の出餅」から12月の「白雪」まで全12種で、いずれも日本の四季を和スイーツに映した招福攘災(しょうふくじょうさい)の縁起物として人気です。
■宮崎神宮の見どころ
宮崎神宮の境内にある「大白藤(おおしらふじ)」は、明治40年にこの地に移植されたもので、樹齢は200年とも600年とも言われ、樹高は日本最大の約6.35メートル、根周りは2.95メートルもある巨木です。1951年(昭和26年)には国の天然記念物に指定されています。白藤が散ると紫色の藤が咲き始め、参拝客の目を楽しませてくれます。
■宮崎神宮の例祭
宮崎神宮の「例祭(本宮祭)」は10月26日で、例祭後の土日に行われる神幸祭は「神武さま」と呼ばれます。稚児行列や神輿渡御が斎行されるなど、宮崎に秋を告げる風物詩として県民や観光客に親しまれています。
「神武天皇祭」は、神武天皇崩御の日にあたる4月3日に執り行われます。神事流鏑馬(しんじやぶさめ)は、紀元2600年の奉祝行事の一環として1940年(昭和15年)に復興された古儀です。流鏑馬と言えば小笠原流(徳川式)や武田流(肥後式)が有名ですが、宮崎神宮の神事はさらに歴史を遡った鎌倉・室町時代の武家式とも言うべきスタイルです。
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