由緒 |
小浜市中心部から南東の多田ヶ岳山麓に鎮座いたします。
上社・下社の2社からなりますが、総称として「若狭彦神社」または「上下宮」と呼ばれます。
社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に姿を表したといわれ、その姿は唐人のようだったといわれております。
和銅7年9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建されました。
そして翌霊亀元年9月10日に現在地に遷座し、白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社があります。
下社・若狭姫神社は、養老5年2月10日に上社より分祀して創建されました
『延喜式神名帳』には「若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座」として名神大社に列しており、上社が若狭国一宮、下社が二宮とされました。
元々は上社が中心でしたが、室町時代ごろから段々と祭祀は下社に移っていきました。
中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有しておりました。
若狭彦神社(上社)は畳・敷物業の神ともいわれ、現在はインテリア関係者などの信仰も集めております。
若狭姫神社(下社)は安産・育児に霊験があるとされており、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、
乳神様とよばれる大銀杏などが存在します。
現在ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐しております。 |
【福井県小浜市遠敷65-41-若狭彦神社・若狭姫神社】の1件の口コミ