全国の神社とパワースポット
霧島東神社
■概要
武人の神が宿る強力なパワースポットが「霧島東神社」です。宮崎県の修行霊場として有名な「霧島東神社」は、パワースポットとしても大人気です。
霧島東神社は、もとは霧島山全体を聖域とした広大な神社でしたが、明治革命で山頂に鹿児島県と宮崎県の県境がひかれたため分断されることになりました。鹿児島県側を「霧島神宮」とし、宮崎県側は「霧島東神社」として受継がれています。
もとは、第10代崇神天皇によって創建されました。947年~957年に天台宗の「性空上人」という僧が霧島山で4年間修行したのを皮切りに高千穂峰の周囲6ヶ所にある神社のそばにそれぞれ寺院を建て、「霧島六社権現」という修行を積み重ねる場を設けたため栄えたのが始まりです。
霧島東神社は、「霧島六社権現」の中の「東御在所之宮」として多くの山伏行者を受け入れてきました。1486年、天台宗から真言宗と改名をしてからも南九州最大の修験道場として活躍してきましたが、明治5年に修験道廃止令によって寺領は没収されました。その際、神社名が「霧島東神社」と改称され今日に至ります。
森の中にある神社は、その姿からは想像もつかないような澄み切った空気の中に鋭い強さを放つパワーのようで霊感の強い人は、涙があふれ出た・震えが止まらないなどと感じる人が多いようです。
大半の人は何も感じることはないのですが、この神社は鳥居をぬけるといきなり修行のような急な階段が続き秘めたるパワーによってか難なく登りきれる人続出と言われています。
また、この急な石の階段を1度も振り向くことなく登りきると願いが叶うとも言われているので挑戦してみて下さい。
■絵葉書のような美しさを誇る「御池(みいけ)」が放つ自然美のパワー
4600年前に起こった噴火で出来たと言われる火口湖「御池(みいけ)」が一望できる標高500メートルの高台に「霧島東神社」はあります。
この御池は空のように青く神秘的で龍神が流した涙で出来たとも言われていますが、この湖には戦争で使われた武器や戦車が沈められているそうです。
初代天皇である神武天皇が水遊びをしたという言い伝えも残されており、この景色は「霧島東神社」を訪れる楽しみの1つであるようです。
■霊泉「忍穂井(おしほい)」
鳥居をくぐり抜けるとすぐ右手に見えるのが、龍神の泉です。
「東方より この池に 女人の影が映ずれば、忽ち異変ありと伝えられる」という立札のある湧水「忍穂井(おしほい)」は、龍神の安息池とし、また水場であったされる場所です。
霧島東神社は龍を封じる為の結界がはられていると伝えられており、それを治める武神のパワーが強力なので、凛とはるようなピリッとした雰囲気が漂っているとも言われています。
■霧島東神社のご神宝である「天逆鉾(あまのさかほこ)」
霧島東神社には、高千穂峰山頂にある飛地境内にあるご神宝「天逆鉾」が有名です。
この鉾には2つの伝説が伝えられています。1つ目は、日本を作ったとされる「国うみの神話」に登場する夫婦神であるイザナキとイザナミが最初にこの鉾を下界にさしおろし、ぐるぐると海水をかき回しました。その鉾を引き上げた際、鉾の先から滴り落ちた物が日本列島を作り上げたと言われています。
その際に使われた鉾こそが、この「天逆鉾」だと言われています。
もう1つの伝説は、アマテラスオオミカミの命により地上を治めるために「ニニギノ
ミコト」が天下りをしたという伝説「天孫降臨です」。その時に授かった鉾であるというのです。
国を無事に安定させたので二度と鉾をつかうまいと高千穂峰に突き刺した鉾だとも伝えられており、どちらの伝説も日本誕生に深く関わりのある神話です。
この「天逆鉾」には数々の著名人も訪れていますが、歴史を動かした立役者の一人として有名な坂本竜馬が新婚旅行の際にこの鉾を引き抜こうとしたという逸話もあります。
また、この鉾を引きぬき担いで麓に降り立った男がいるようで何とか鉾を取り戻し元あった山頂に戻したそうです。
しかし、もしかしたら鉾が麓に降りたいという意思の表れだったのではないのか?と考えた人も居たようで「天逆鉾」の変わりに石で造った鉾をその場に飾ったという話もあります。現在もその石鉾は、境内の中にひっそりと飾られています。
いずれの話も鉾へ崇拝する人々の気持ちの表れとし、現在も大切に守り継がれているのです。霧島東神社では、月に一度は山頂に登りご祈祷しているとのことです。
神仏混合で威圧感がたっぷりありますが、参拝を終えるとなぜか体が軽くなったという人が続出しています。そんな不思議なパワーを持つ「霧島東神社」に是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
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