全国の神社とパワースポット
黒髪山
黒髪山は300万年前の噴火活動によって誕生したと言われ、新日本百名山及び九州百名山の一つで標高516mの山です。
伊万里市・武雄市・西松浦郡有田町の市町境に連なっており、この辺りは黒髪山地と呼ばれ牧山(543m)、青牧山(553m)、青螺山(せいらざん、618m)、蛇焼山(じゃやきやま、505m)、本城岳(前黒髪山、482m)、後黒髪山(465m)に囲まれています。
特に蛇焼山は大蛇退治伝説ゆかりの山です。
山の大部分は流紋岩でできており、岩肌が露出している箇所が多々あります。
日本の名水百選にも認定された竜門峡、天然記念物指定のカネコシダ自生地、不動寺太鼓岩不動尊、有田ダムや竜門ダムなどの観光名所としても人気があります。
昭和12年に県立公園に指定されました。
弘法大師・空海が唐に渡る際、ここ黒髪山を訪れて航海の無事を祈願したといわれたことから、修験の山として修行僧が訪れるようになりました。
崇神天皇十六年に朝廷の勅願社として黒髪山を鎮座されたと伝えられる黒髪神社は、登山口の入り口にあり下宮と上宮があります。
黒髪三所大権現といい、黒髪山頂の天童岩に上宮があり山麓に下宮があります。
磐座信仰、巨石崇拝が色濃く残っていることから、古代祭祀場だったことがわかります。
イザナギ、イザナミ、速玉男命、事解男命をお祀りしています。
大蛇伝説で有名ですが大蛇は祀っておらず、黒髪山の神はもともと龍神だったと言われています。
肥前古跡縁起には黒髪山大権現、本地薬師如来の三尊聖徳太子御作也。
昔天竺の大王我朝に飛来り・・・権現と垂跡し給ふ、其鬚髪を 納め御宝殿の所と定め給ひし故に黒髪山というと記載があり、黒髪神社の由緒記には伊弉諾尊が黄泉国より遁れ帰られた時、投げ給うた御鬘が此処に止まったから黒髪山と名付けたと記述されていることから聖徳太子もお祀りしている神社です。
流鏑馬神事が毎年10月29日に行われます。
久寿元年(1154年)鎮西八郎為朝が、黒髪山を駆け回り大暴れしていた大蛇を退治した祝いとして奉納されたのが始まりと言われています。
祭りの準備は締元選出から始まり、合歓や椎の木を材料とする的木倒しの行事、的作り、射手筆作り、締元宅のしめ縄掛け、馬屋作り・馬場みせの儀式を行い、29日の本番を迎えます。
当日は御神幸のあと、射手・勅使・神馬による堂廻りが行われます。
その後三的の七登りと呼ばれ、最初に馬場元から馬場末に向かって射手筆による宮祓い、つづいて3的の騎射が7回行われます。
祭りの翌日は、的配りの行事があります。
どんこ魚をつけて、関係者や会社に配られます。
社は肥前最古の社で、祟神十六年(619年)からあると言われています。
太鼓岩不動尊は山伏が彫ったと言われ、高さは約7mです。
不動明王と弘法大師をお祀りしている真言宗大覚寺派黒髪山太鼓岩不動寺本堂横から進み、不動明王の像や弘法大師の像などがあるのをさらに進み、四国八十八ヶ所のご本尊様の石仏を通ると不動明王の像が岩に刻まれています。
古来より霊場として知られる黒髪山の山頂には天童岩、青螺山の南麓との間にそびえ立つ雄岩・雌岩があります。
年中人間を襲っていた黒髪山の大蛇がいつも七まき半にとぐろを巻きつけていたのが、この天童岩であると言われ、竜が住んでいたほら穴である竜門があったという話も残っています。
天童岩は諾冉二柱がその子「天童」を遊ばせた岩ともいわれています。
天童岩の近くには西光密寺があり、弘法大師さまが入唐求法の途上で無事の渡航を祈念して黒髪山にご登嶺され、お礼参りの際に不動明王を爪彫りされ安置されたのが始まりと言われています。
現在は黒髪三所権現の本地仏といわれる、薬師如来、 阿弥陀如来、千手観音の三体の掛け仏さま(秘仏)をお祀りしています。
武雄市重要文化財である石造閻魔王立像は全高185cmで、天正十年(1582年)韓国から渡来した像と言われていますが、天正10年には像が完成していたとみられることから、地元の肥前石工等の手によってつくられたとも言われています。
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